栗田城

別名-  付近住所 滋賀県愛知郡愛荘町栗田 現在- 
2009/7/20 案内板アリ 日本城郭大系


平井実清

栗田氏
 そもそも栗田家は、鎌倉末期から南北朝時代(1300〜50)の頃、隣村平居城主平居氏の分家として平井実次の嫡男 実清が創設したものである。千代之里に居館を構え、元興寺領など荘園の管理に当たり、自らも農業を営み農民の代表的役割も努めたが、応仁之乱(1467〜1474)後、下剋上の世となり、文明12(1480)年頃、栗田六郎は、居館の周囲を土塁、堀、柵で囲い薮地で被い、戦える体制を整え、築城に及んだ。
 栗田城の区域は、中世城廓調査でみられた。枡畑、内堀、外堀、蓮池、出口地蔵を調べ3回の発掘調査の結果を総合すると、栗田の北西端新県道付近から4北東端出口地蔵までの土塁を北限として南北70メートル、東西200メートルの広さと推定できる。
 永禄11(1568)年 城主栗田秀元始め栗田氏一族は、主家佐々木氏に従い、織田信長軍との戦いに敗れ、主家のために義に殉じた。この戦いで栗田城は破砕された。